初代ALLJAPANPITCH 開発の謎
ALLJAPANPITCH開発したのは十数年前になります。開発にあたり話を聞いてみました。↓
駆け出しの時、
熊本に有名な職人さんがいて、名前が後藤昌といい、全国から集まる丸目蔵人7段選抜にも出場されていた人で。
頑固な親父がいたんだよ。
そのひとは熊本刑務所で受刑者に防具製造を教えていて、刑務所に入ってた人じゃなくて、教えていた人ね。(笑)
熊本刑務所の手刺しと言えば、世界一だよね。今でも世界一だよ。
その土台を作った人。
鎧甲手て知ってる?今は沢山流通してるよね? でも本物の継承された鎧甲手見たことある?
その後藤さんが2代目の継承者なわけ。本物だよ。
そして俺が駆け出しの時、日本一の小売店で修業したわけ、喧嘩ばかりしてたけど…この世で一番尊敬する最高の社長の元でね。
その社長が、後藤さんを連れてきて、今日からうちに入るからなんて。
それから、面白いおやじだなぁなんて、思ってたけど針教えてもらったら面白い面白い。
営業ほったらかして、夜中まで防具作ってて。2時、3時。
たまに夜まで社長のカバン持ちで飲み屋とかいっても、早く帰らないと奥さんに怒られますよ、とかいいながら。
帰って針。
他の社員にきずかれないように防具作りの毎日、会社から捜索願いが出たら、熊本の嘉島に防具工場があって、そこに会社からなにしてるかと電話あるんだよね。
ちょい話それたけど、その後藤さんに教えてもらったのが「鎧甲手」。
お前が三代目だーなんて言われても、へーみたいな感じで。
この鎧籠手、記憶にない?初代ALLJAPANPITCHは籠手だけ販売したんだよね。それ。
その籠手。
して、英語が防具につくなんてご法度な時代、めちゃ批判浴びたけどALLJAPANPITCHなんて横文字。
大爆発して。
結局今思えば鎧籠手が原点かな。
最高の面白い師匠に、俺の一番尊敬する社長が偶然横にいたから。
防具の技と、経営を叩き込まれて。
のちに完成したのがALLJAPANPITCH。
そんなん偶然だよ。
次の話は、また次回。