「工場は簡単やない」 剣道具工場が生き残れるかは、トップで決まる
当社代表・川辺に聞く
なぜOEMをやめ、自社工場という道を選んだのか
工場は、決して簡単なものではない。
どれほど腕のある職人が揃っていても、
知識を欠き、ものづくりの本質を理解せず、
経営力や信頼できる取引先を持たない者がトップに立てば、
工場は一瞬で崩れ去る。
私は、これまで数多くの防具工場を見てきた。
海外での技術指導とOEMの時代
川辺は、今からおよそ20年ほど前より、
中国・フィリピン・ベトナム・韓国など各国を訪れ、剣道防具の技術指導を行いながら、OEM(ブランド委託製造)という形で防具づくりに携わってきました。
当時の日本では、大規模な防具工場が次々と姿を消し、
業界全体が「海外で作るしかない」という流れに包まれていた時代でした。
OEMをやめた理由 ――答えはシンプルだった
「なぜ、OEMをやめ、自社で工場を構えるようになったのか」
その問いに対し、川辺の答えは驚くほどシンプルでした。
「私が教えた技術が、他社へ流れ、乱用される。
さらに、別のメーカーが同じ工場に入れば、品質は一気に崩れる」
OEMという仕組みは、一見すると合理的に思えます。
しかし剣道防具という現実には、
・技術が守られない
・品質基準が統一されない
・作り手の意識が揃わない
・代表者により右にも左にもいく
こうした問題を常に抱えていました。
まず“文化と考え方が違う”
海外でどれだけ技術指導を行っても、
現地の製造側は内心で、
「コストが高い」
「作りにくい」
「このやり方は非効率だ」
そう感じながら、表面上は聞いているふりをする。
そんな現実を、川辺は何度も目の当たりにしてきたと言います。
繰り返された“同じ結末”
実際、川辺が技術指導を行い、共に運営してきた海外工場は、
川辺が関わっている間は活気に満ち、生産も安定していました。
しかし――
・他メーカーが横入りする
・川辺が現場を引く
その結果、中国やフィリピンをはじめ、
関わった工場の多くは、衰退、あるいは倒産という結末を迎えていきました。
その「末路」を、川辺は何度も繰り返し見てきたのです。
自分の力で、すべてをやるという決断
同じことを何度も繰り返す中で、川辺は強く感じるようになります。
「これはもう、自社で、自分の責任で、
すべてをやった方がいい」「幸いにも、私には日本で唯一となる工場を経営してきた経験がある。
海外においても、自社工場を運営するための技術と知識は、十分に備えてる。」
OEMは、想像以上に難しい。
剣道防具は、任せて作らせられるものではない。
その答えに辿り着くまでに、実に10年という歳月を要しました。
世界トップを走る理由
現在、全日本武道具の防具は、世界市場のトップを走り続けています。
それは単に規模が大きいからではありません。
自社工場にて、
技術・材料・工程・品質――
そのすべてを自らの手で掌握しているからこそ、
世界の製造工場の均衡を保ち、
安定したものづくりを続けることができているのです。
最後に、川辺はこう締めくくりました。
「これが、私がOEMをやめ、自社工場にすべてを懸けた理由」と。
(取材・文= 広報部)







